「食は運命を左右する」という本を書いた人がいます。著者は水野南北(1760~1834)、江戸時代後期の人で、当時、日本一と言われた観相学の大家です。南北がこの観相学という占いを極めて行く中でたどり着いたのが、この「食により未来を変えることが出来る」という事でした。南北は若い頃は放蕩三昧を繰り返し牢屋にも入るような荒れた生活をしていました。そして、その牢屋の中で、中にいる囚人たちと娑婆(しゃば)の人たちとの人相に明らかな違いがある事に気づき、観相学に興味を持つようになります。そして、21歳の時に観相家を志し、まず3年間髪床屋の小僧となり顔の相を研究し、次に3年間風呂屋の三助をして裸体を観察して全身の相の研鑽を深め、さらに3年間火葬場の死体の作業員になって死人の骨相や死因がわかっている死体を観察して詳しく調べました。そして、それと共に神道や仏教から、儒教、史書、易までの学問を学びつくします。
このように南北は異常なまでに人体の差異による実施検査を積み重ねて、顔をみる・骨を見る・気色を読むと、大量観察を続け観相を極めていく中で、「悪相でも人生が変わる人がいる事や、逆に良相でも崩れる人がいる」事に気づいていきます。そこで彼は、生まれつきの骨格や顔立ちだけでは説明できない運命をつくる「原因」を今度は探し始めます。そして「人相を見れば運命が分かる」という単純なものではなく、「相はその人の生活によって変化している」という事に気づきます。そして、「相をただ見る人」から「相を作る原因を探す人」に変化していくのです。
その探求の中で、南北は「何が人を変えるのかを?」を「金銭・色欲・怒り・怠惰・酒」などの各々の事象で観察していきましたが、それらの元に共通しているのが「飲食欲」である事に気づきます。そして「食べ過ぎる⇒気が濁る⇒欲望が強くなる⇒判断を誤る⇒行動が乱れる⇒人相が悪化する⇒運命が崩れる」という連鎖が人に起きているのを見つけ出します。そしてそこから南北は「食」は単なる栄養補給ではなく欲望制御の根本であるという結論を導き出し、「相←行動←欲望←飲食」という構造の循環から、「相を変えたければ食をかえよ」という結論にたどりつくのです。
そしてそれ以降、南北は美味大食を戒め「慎食延命法」を人々に説いていきます。その内容を非常に簡単に要約しますと①腹八分目の習慣②食事時間と量を規則化③身の丈にあった質素な食事です。ただこの食事は、単に貧しい「粗食」という意味ではなく、季節の野菜や豆類、穀物など自然の恵みに感謝して、素材の味を生かしたシンプルな料理の事です。そして、食材が質素であればあるほど、人の精神は安定し運は高まり、逆に過剰に加工された食品や豪華な料理に慣れてしまうと、身体は鈍り、心は欲望に振り回されるようになり、結果として運が逃げていくと考えました。
南北は「相は固定された宿命ではなく、食と生活によって変わる」として、人相を読むものから人相を作る原因を探る者に変わりました。それは、「食によって人は変わる」という宿命を否定した革新的な「セルフコントロール理論」であり、水野南北の運命学という道徳論が、その後に現れる事になる石塚左玄の医学や桜沢如一の陰陽学によるマクロビオティックへと繋がっていきます。
