「げんきの市場」の生産者の野菜は本当に美味しいんです。「野菜が食べれないうちの子供が野菜を食べれるようになった」。とか、「野菜が美味しいんでホント調味料はいらないぐらいです」。といったお客様からのお褒めの言葉を頂戴する事があります。何よりも私自身が「げんきの市場」の野菜の心からのファンで、何十年とそうした野菜たちの美味しさを実感して生きてきました。料理研究家の辰巳良子先生の「あの美味しさを待つという事」という、めぐる季節の中で出会いを繰り返す旬の食材たちを思う言葉がありますが、私自身そうしたそれぞれの生産者たちの美味しい野菜達に「まためぐり合う喜び」に、この人生で出会えた事に、心より感謝しております。
こうした本当に美味しくて安全な野菜を30年近く販売してきたのだから、さぞかし「げんきの市場」は今まで順風満帆に歩んで来たと思う方がいるかもしれません。しかし、その道のりはけっして生易しいものではありませんでした。そして、その中の理由の1つが野菜の規格に対しての消費者意識と自然界で育つ本来の野菜たちとの食い違いです。野菜が経済の中で「商品」となり、お金と交換される事により、「野菜の規格」という物差しで野菜の価値を計る事が当たり前になりました。しかし、自然界の中ではそれぞれ千差万別に違って成長する方が自然であり、工場のレーンで生まれるモノのように全く同じものが生まれるとしたら、それこそが不自然なのです。「商品」という物差しで計り、それを野菜の価値だと思う人たちからは「げんきの市場」の野菜は「規格外」だと思われています。さらに、農薬も使わず栽培中のリスクは増える為、その結果、「げんきの市場」の野菜が一般社会の概念では「クズ野菜」のレッテルが貼られる事が何度となく起きています。
そうした中、この数年、消費者の方で家庭菜園で無農薬野菜を作る人が増えてきました。その事に私は大きな希望を抱いています。それは今まで「商品」として野菜を見ていた消費者が実際に畑で野菜を育て自身で収穫する事により、それまでとは違う視点で野菜を見て頂ける事を期待しているからです。「みんな違ってみんないい」は詩人の金子みずずですが、1つ1つが大きさも形も違って育つ姿こそ本来の自然であり、それが自然界のぬくもりであると感じて頂ければと願います。そして、暮らしの中でお金と引き換える時でも、野菜を「商品」ではなく私たちの生命を育む「いのち」と捉え、よくよく育ったそれぞれの野菜をそれぞれに美味しく頂く思いを育ててほしいのです。
そして、もうひとつ期待している事があります。それは、「私たちの暮らしの中で安全な農産物を育てる専業農家から私たちの食卓へ届く」、その有難さに1人でも多くの消費者の方に気づいてほしいのです。家庭菜園の方が「もしこの面積を広げて、それで家族を養い子供を大学に行かせるとしたら…」と考えたら、どれ程大変な事か理解できるでしょう。消費者が農業を知り、食べ物の価値を見直す事はとても大切です。しかし全人類が自給自足する道が私たちの未来とは思えません。それよりも、それぞれが与えられた環境や役割や職業の中で、社会に灯りをともす事こそが私たちが歩むべき道のりです。そして私たちの食卓を守る専業農家の方々が農業を「生業」として、これからも未来を描けるように、「消費者」の立場を越えて「食卓」の未来を共に守れればと願います。
