「丁寧な日々の暮らし」野菜情報VOL.540 令和3年1/10~1/16

君がため 春の野に出でて 若菜つむ、わが衣手に 雪は降りつつ   光孝天皇 

旧暦では1月から3月が春であり、元日は春の始まりです。そして、若菜は野草である「春の七草」を表しています。いにしえより正月に春の七草を食べると長寿になると言われ、現在の「七草粥」原型になったと言われています。

この歌は光孝天皇が親王だった頃に詠まれたもので、「古今集」に残されています。愛しい人が健やかであることを願いながら、いち早く春の息吹を届けたくて雪も舞い降りる中で摘んでいる、細やかなぬくもりが響いてきます。

天皇が即位されたのは元慶8年(884年)、55歳の時で、幼少で即位するのが普通だった時代にまさに異例の高齢天皇でした。吉田兼好の「徒然草」には光孝天皇が親王の時だけでなく、天皇になられた後も自炊をしていたと書かれています。質素な生活を好みながらも、優美さとやさしさにあふれたお人柄がにじみ出ています。

光孝天皇が生きた時代は、約400年続いた平安時代の中で天皇親政から藤原家による摂関政治へと移り変わる時代でした。この時代、富士山史上最大の噴火と言われている「貞観噴火」(864年)、多賀城が崩壊し大津波が発生した「貞観三陸大地震」(869年)と天災が相次いで起きていました。光孝天皇の在位期間はわずか4年に満たないものですが、その間にも「仁和地震」(887年)が起きました。これは東海地方を震源地とするM8級の巨大地震で、七道諸国(東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道)で建物が多数倒壊し、平安京内も建物も多数倒壊し死者が多くでて、さらに津波により溺死者も多数だったと記録されています。まさに日本国が壊滅する程の大カタストロフィーでした。

年末の大掃除、門松、鏡餅、おせち料理、書初め、年賀状など現代に伝わる大みそかから正月に伝わる風習の多くは平安時代にその歴史が始まります。今では形骸化されてしまいましたが、その中に一年の悪事を全て払い清め、厳かに新たな歳の神様を迎え、一年を健やかに過ごせることへの願いが込められています。

危惧されていた「新型コロナウイルス」の変異種が世界各国で確認され、一都三県では緊急事態宣言が発動されました。しかし恐れることはありません。免疫細胞の70%は腸管に存在しており、「げんきの市場」がお届けしている食材は強い免疫力をつくるための手助けとなります。万が一、たとえ感染してもウイルスに負けない免疫力を育てることが未来を分けます。私たちはマスメディアに踊らされてやみくもに恐れることなく、暮らしの中で日々に出来ることを重ねていきながら、今こそ丁寧に日々の暮らしを温めていきたいものです。

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