世界の食糧庫であるウクライナとロシアの戦争は世界の食糧事情に深刻な影響を与えています。現在、食料自給率が38%の日本ですが、今後も食糧安全保障上のリスクは増大すると日本政府も危機感を強めています。このような事態をいち早く予想し、警鐘を鳴らしてきたのが佐賀県の農民作家・山下惣一さんです。山下さんは農業の傍らで50冊以上の小説や評論を表し、戦後の農村がおかれた厳しい現実や、日本農業への希望を発信されてきましたが、昨年の7月に86歳で亡くなられました。先日、その山下さんの生涯を描いた「日本人は農なき国を望むのか~山下惣一の生涯~」という番組がNHKで放送されました。今週はその内容をお伝えします。
1960年代の高度成長と共に農業の新たなスローガンとして「選択的拡大」が掲げられました。これはそれまでの「少量多品種の自給自足型」の農業をやめ、お金になる「換金作物を選択して規模拡大をはかる」というものでした。その為に農業の機械化を進め、化学肥料や農薬を使用して収穫量の大幅なアップをはかります。その中で山下さんは25歳の時に村の青年団の後輩の女性(当時18歳)と結婚をしました、そして当時、農協が奨励していたみかんを換金作物に選び、結婚式の翌日から新婚旅行と称して、毎日、新妻と裏山をみかん畑に変える開墾に出かけました。しかし、みかんの木が育ち、いざ収穫出来るようになると、西日本全体で奨励されていた為に生産過剰となり価格が暴落状態になりました。更には農産物の輸入自由化の中で1988年オレンジの輸入が自由化された後、54歳の時に山下さんは夫婦で植えた360数本のみかんの木を伐りました。
また、1980年代には山下さんが暮らす地域で「死米」(しにこめ)と呼ばれる精米すると粉々に砕け米粒の形を残さない異常な米が育つようになりました。これは大量な化学肥料による稲作を続けた結果、土の中の微生物の数が極端に減り、ミミズなどの有機生物が減った田んぼでは土が固くなって、根っこが張らなくなった結果でした。そうした中で、山下さんは父親がやっていた昔ながらの農法の意味を改めて考えるようになりました。多くの手間と時間をかけ、今まで先祖が面々と続けてきた農業は次の世代に豊かな土を手渡す為であったと気づくのです。そして、「土を粗末にする事は自分たちのいのちの根っこ粗末にしている」と、考えるようになりました。
その後、山下さんは宇根豊さんの「田んぼが育むいのちの調査」に出会い、田んぼが養う無数のいのちから生き物たちの生命循環が生まれ、食と同時に環境が作られていることに気づきました。そして、食と環境と地域社会が密接につながっている形として「地産地消」を始めました。また、2015年には「農業の基本的な性格は、成長よりも安定、拡大よりも持続、競争よりも共生」という思いで、家族農業という現在の農業を未来に残す「小農学会」を設立しました。この山下さんが亡くなるまで、私たち消費者に一貫して発言されて来た事は「農業問題、食糧問題というのはいったい誰にとっての問題か?」という事です。「私たち(農家)はどんな時代が来ても自分と自分の家族が食べる分だけは作り続けるわけですから、それは消費者の問題なんです」。げんきの市場は、山下惣一さんのご遺志を継ぎ、未来へ豊かな環境と農と食を残して行きたいと心から願います。