七草なずな 唐土(とんど)の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン
京都の古いしきたりや(おばんざい)の随筆を書かれた大村しげさんは著書「冬の台所」の中で、1月6日の夜、七草をまな板にのせ、両手に菜刀(ながたな)などを持って、冒頭の「七草なずな…」と歌いながら、トントントントンッと切り、七草粥をつくる台所の様子を描き、そのときに青菜がパッと散っているのがいかにも初春らしいと描写しています。
そうした暮らしを、江戸の風俗をこよなく愛した日本画家の鏑木清方は「鏑木清方随筆集」(岩波文庫)の中で「昔の人は、いやな年の暮れを境に、心機一転、青陽の春に心を新たにして、めでたき歳を迎うることに導いた、その心がまえの深さを寔(まこと)に味わうべきことではあるまいか」を綴っています。
「昔は、正月は三が日で終わらなかったわよ。7日の『七草粥』、11日の『鏡開き」、15日の『小豆粥』と続き、20日は『二十日こがし』 と言って大麦と大豆を粉にして柏の葉で食べた…。これで正月が終わったのよ。」というお話を以前ご高齢のご婦人のお客様から教えていただいたことがあります。
七草粥は1月7日の朝に一年の無病息災を願って食べる行事で、祝膳や祝酒で弱った胃腸を休めるためとも言われています。鏡開きは神仏に感謝し、その供えられた物をいただいて無病息災を祈る行事。小豆粥は1月15日の小正月に邪気を払って一年の健康を願い小豆粥を食べる風習です。そして「二十日こがし」と続くようですがこれらの行事にはすべて食べることと共に感謝と祈りの思いが込められています。
春夏秋冬の季巡(きじゅん)に沿い、暮らしてきた私たちの文化は、大きな自然界を敬いながら、風土に根ざした食文化と共に育まれてきました。旬を告げる野菜たちはまさしく自然界からの使者たちであり、それらはその土地の土の中から生まれてきます。私たち「げんきの市場」は身土不二(しんどふに)と言う言葉に今一度思いをはせながら、季節に沿い、日本の風土で培われた生活の潤いを、野菜と共に皆さまへ今年もお届けしたいと願います。