君がため 春の野に出でて 若菜つむ
わが衣手に 雪は降りつつ
光孝天皇
この歌は光孝天皇が親王だった頃に詠まれたもので、「古今集」に残されています。愛しい人が健やかであることを願いながら、いち早く春の息吹を届けようと雪が舞い降りる中で若菜を摘んでいる、その細やかなぬくもりが響いてきます。旧暦の元日は1月21~2月20日の間で(月に満ち欠けにより年により違う)、平安時代の頃は今の1月から3月が春とされており、文字通り元日は春の始まりでした。そして、若菜は野草を表し、今に続く「春の七草」を表しています。いにしえより正月に春の七草を食べると長寿になると言われ、現在の「七草粥」原型へとつながっています。
天皇が即位されたのは元慶8年(884年)、55歳の時で、幼少で即位するのが普通だった時代にまさに異例の高齢天皇でした。吉田兼好の「徒然草」には光孝天皇が親王の時だけでなく、天皇になられた後も自炊をしていたと書かれています。孝徳天皇の歌には質素な生活を好みながらも、優美さとやさしさにあふれたお人柄がにじみ出ています。年末の大掃除、門松、鏡餅、おせち料理、書初め、年賀状など現代に伝わる大みそかから正月に伝わる風習の多くは平安時代にその歴史が始まります。今では形骸化されてしまいましたが、その中に一年の悪事を全て払い清め、厳かに新たな歳の神様を迎え、新たな一年を健やかに過ごせることへの願いが込められています。
七草なずな 唐土(とんど)の鳥が
日本の国に 渡らぬ先に ストトントン
京都の古いしきたりや(おばんざい)の随筆を書かれた大村しげさんは著書「冬の台所」の中で、1月6日の夜、七草をまな板にのせ、両手に菜刀(ながたな)などを持って、冒頭の「七草なずな…」と歌いながら、無病息災を祈りながらトントントントンッと切り、七草粥をつくる台所の様子を描き、そのときに青菜がパッと散っているのがいかにも初春らしいと描写しています。
私たちは年賀状に「迎春」・「賀春」といった言葉を添えますが、春夏秋冬という循環を繰り返す自然界(宇宙)の理(ことわり)の中で、1年の始めである1月1日は単なる12月31日からの続きの1日ではなく、全ての生命が蘇る「春」の訪れの初日として、私たち日本人は古来より新しい年の「歳神様」を迎え入れて来ました。そして、「おせち料理」は神様にお供えする料理であると同時に、家族の幸せを願う縁起物の料理として一つ一つの料理を大切につくり食べてきました。
そうした江戸時代から続く風俗をこよなく愛した日本画家の鏑木清方は「鏑木清方随筆集」(岩波文庫)の中で「昔の人は、いやな年の暮れを境に、心機一転、青陽の春に心を新たにして、めでたき歳を迎うることに導いた、その心がまえの深さを寔(まこと)に味わうべきではあるまいか」を綴っています。今年も新たな一年が本格的に動き出します。「食」は私たちの風土の中で文化として生活の中のしきたりを育んできました。「げんきの市場」は、旬の野菜のぬくもりと共に、そうした四季の季巡にそった生活の中の潤いを暮らしの中に取り戻していきたいと考えております。
