今週は、日本人がかつて持ち続けていた暮らしの「豊かさ」について、明治の初頭に日本に訪れた一人の外国人の目を通してお届けいたします。それは今、「げんきの市場」が皆さまと一緒に取り戻したい自然ともに生きることを根ざした生活の「輝き」なのです。
大森貝塚の発見で知られる米国の動物学者エドワーズ・S ・モースは明治10年に日本に訪れました。日本近海に生息する腕足類(深い海に二枚の貝にはさまれて生息する動物)の研究が目的でしたが、次第に江戸の雰囲気を多く残している明治の文化や暮らしに興味を持ち、惹かれていきました。そして、滞在中に日記と膨大なスケッチを記録し、「日本その日その日」(Japan Day by Day)という本にまとめました。
その本の中でモースは「人々が正直である国にいることは実に気持がよい。私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れない。そうした国民性の最もよい実証が三千万戸の国民の住家に錠や鍵もないことである」と日本人の特性を表しています。
また「人力車の車夫が道にいる犬や猫や鶏をとても注意深く避けているのに気が付いた。また、今まで動物に対して激しく怒ったりいじめたりした姿を見たことがない。奇妙な荷物をひいた牛車を見かけた。車につけられた大きな日よけは日光から牛を守るためのものだろうか。足には草履をはかせて保護している。」と、そうした暮らしを眺めながら、「この地球上で日本人ほど自然と生き物を愛する国民はいない」と綴っています。
このような日本の暮らしを愛したモースは「この国のありとあらゆるものは日ならずして消え失せてしまうだろう。私はその日のために日本の生活に根ざした民具を収集しておきたい」と、菓子屋の看板から、枕、履いてすり減っている下駄、髪飾り、化粧道具、団扇や扇子など3万点も持ち帰り、現在、ピーポディー・エセックス博物館にモースコレクションとして大切に保管されています。その中には、着ていた藍染めの着物を着つくして、最後は丈夫な麻の糸でぬって仕立て上げられている雑巾など、生活の隅々のものにまで心を込め、それを最後まで慈しみ大切に使う日本の美意識が溢れています。
モースはそのような西洋とは全く違う新しい光景、新しい物音、新しい香りの異文化を科学者の鋭敏な視線を通して楽しむと共に、日本人が持ち続けている自然と人間とが分離しないで一体として暮らす姿に、深い感銘を受けています。それは戦後の日本にもまだ、たとえば農村の軒先にぶら下げられた大根や干し柿といった変わらぬ暮らしの風景としてかろうじて残っていました。それが今、拝金主義に裏付けられた効率性といった言葉と共に急速に失われています。そうした中で、私たち「げんきの市場」は、もう一度、私たちの暮らしが、そして私たち自身が持ち続けていた「自然界からいただく喜び」から育まれる「豊かなる毎日」を次の世代にも繋げていきたいと願います。