思想史家の渡辺恭二さんが昨年(2022年)12月25日に享年92歳で亡くなられました。生前の渡辺さんは30を超える著作を通して、一貫して庶民の目線から時代を写してきました。その代表作が「逝きし世の面影」(平凡社)です。この本では日本を訪れた外国人の記録から江戸時代の庶民の暮らしの豊かさを描き、近代化によって私たち日本人から何が失われたかを明らかにしています。それらの記録は近代以降に私たちが教えられてきた固定概念を大きく覆すものでした。
当時の欧米人の著述の中で、私たちが最も驚かされるのは民衆の生活の豊かさについての証言であり、民衆が暮らす自然と一体となった景観の美しさです。幕藩体制下の悲惨極まりない民衆生活のイメージを長く叩き込まれてきた私たちにとって、その違いのあまりに大きなことに驚かされます。日本に着任したハリスは下田近郊を訪れ、「人々は楽しく暮らしており、食べたいだけ食べ、着物にも困っていない。それに家屋は清潔で日当たりもよくて気持ちが良い。」と日本の印象を残しています。また、近代登山の開拓者のウエストンは「知られざる日本を旅して」という著作の中で、「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではより良い国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい」と記しています。同じように、ハリスの通訳として1年2か月働いたヒュースケンは「いまや私が愛しさを覚え始めている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならない」と日本に訪れる未来への危惧を記しています。
この本の中で、多くの外国人の残した記録が日本人の質素で洗練された習俗や生活の礼儀正しさへの賛辞や人づきあいの良い幸せな日常を賛美し、この国ほど気を休めて安心して暮らせる国はないという感想を残しています。江戸時代の幕藩体制の支配はあくまでも制度であり、貧富の差があったとしても村や地域のそれぞれのコミュニティーが総合扶助する働きをもっていました。そして、それぞれの世界があり、庶民への支配は、その根っこまで届いたものではありませんでした。
15歳の時に渡辺さんは中国大陸で敗戦を迎えて引き揚げ、その後肺結核になり療養所へ入り、死の淵をさまよいました。そして、その時に入院している親子が人知れず死んでいく場面に出会い、救いようのない死というものに直面しました。また、日本が高度成長する時代の中で、郷土である熊本県の不知火海の豊かな自然の中で水俣病がおき、その支援活動にかかわっていく中で、水俣病により村の共同体が壊れ、これまで連綿と続いていた人と自然が共にあった暮らしや人々の尊厳が破壊されていく現実を目の当たりにしました。そして、渡辺さんは近代により失われていった小さきものの歴史を多くの資料を集め紐解きながら執筆活動を始めました。
名もなき庶民、小さき者たちの声を聞き、近代とは何かを問い続けてきた渡辺さんが生前残した最後の言葉は「土から離れない」という言葉でした。それは「土から離れない人間の生活というものを持っていてほしい」という願いであり、それがなくなるとき「人間は人間ではなくなる」という思いからでした。渡辺さんは名もなき庶民である小さき者たちに寄り添い、その時代をどう生きていくのか歴史と向き合い、そして全ての人が等しく救われていく世界にたどり着きます。それは一人一人それぞれが1人の人間として「土の世界」とつながり自然界に抱かれて生ききる姿です。