季節と共に折り重ねられていく日々の豊かさ 野菜情報VOL.706  令和6年5/19~5/25

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日本画家の鏑木清方(かぶらぎきよかた1878~1972)は江戸時代から明治へ引き継がれた庶民の暮らしをこよなく愛しました。昭和23年に描かれた「朝夕安居」には、清方自身が「心のふるさと」呼んでいた明治20年代の築地界隈の夏の1日が描かれています。朝もやの中、道を掃き清める娘、毎朝やってくる煮豆や佃煮をうる行商、にぎやかな共同の水くみ場の風景、そしてすずむ夕暮れに麦湯を飲む縁台の浴衣姿の男等が描かれています。それはまさに自分の少年時代を物語にしたような絵巻で、思い出をたどりながら、その中を生き直すかのようです。鏑木清方は後年(1954年)、NHKラジオの「朝の訪問」という番組の中で「ただ、明治というのは幸せな時代だったと思いますね。あの時代を、若く感受性にとんだ時代に過ごしてきたのは私のおそらく一生の1番の幸せだったと思います。夏の夕暮れなどの風情等というものは、今は感じられない風情だと思いますね。同じさんまの匂いでもその頃のサンマの匂いの方が今のサンマの匂いよりは豊かだった思います。明治の庶民生活というのには季節感が大変に豊富だった思います。生活が季節から出ていたとも言えると思います」。「美の理想」を描き続けた清方は明治という時代をそう回想しています。

 また、鏑木清方は「明治風俗12か月」という明治30年ころの四季折々の情景を12枚描いた作品を残しています。1月の「かるた」では「訪問客の為のかるたの準備をする姉と振り袖姿で羽根つきをする妹」、4月の「花見」では花の名所である向島の堤でお面をつけてはしゃぐ見習いの芸子、8月の「氷店」では見る目涼しい浴衣姿で氷をけずる娘、10月の「長夜」では暖かなランプの灯の下で、男の子は学業に励み、傍らではお茶の葉を火鉢で炒る母親、娘は針仕事に精を出している秋の夜長のささやかな暮らしの一コマ。12月の「夜の雪」では雪が降る中を人力車の客が冷えぬようひざ掛けをかけている車夫、夜に雪がしんしんと降る中で1年が暮れていきます。庶民が何でもない日常を送っている、その何でもない一瞬が、何よりも美しく描かれています。

 私たち日本人は正月には初詣に出かけて、ひな祭りや端午の節句にはおひなさまやかぶとを飾り、お盆にはご先祖様のお墓参りに出かけます。そうした暮らしは神道とか仏教という宗教を超えて、日本の国土に生きる「しきたり」として続けられてきました。そして、四季折々の自然や私たちの暮らしの共にあるすべてのものには神様が宿り、その中で季節ごとに暮らしの形があり、生活が季節から出ていました。それは、はるか昔、私たち日本人がこの国土で暮らし始めた時から育まれてきたものであり、それは私たちの血の中へと受け継がれてきました。しかし、このような日本人が持ち続けてきた「季節と共に折り重ねられる生活の豊かさ」は、急速に失われようとしています。

 今、私たちの暮らしは便利で清潔で、そして何より豊かになりました。私たち日本人は努力をしてこの時代を獲得したのです。高層ビルが立ち並び、おしゃれなスポットがたくさんあるこの時代は、私が子供の頃の「昭和」と比べても格段に豊かです。ただ、その一方で未来への閉塞感が増々強くなっています。そして、日本が世界で一番子供の自殺者が多い国となりました。効率性という物差しを神棚にあげて、私たちが生きる上で最も大切にしなければならないものを忘れています。

 

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