昭和の名脇役女優として知られる沢村貞子さんが昭和41年から26年半、毎日書き続けて36冊に及んだ「献立日記」が基になり「わたしの献立日記」(中公文庫)という一冊の本が出版されています。「最初は仕事を持つ主婦のちょっとした思い付き」から、毎日、働きながら今夜は何を食べるのかを走り書きしていたメモを残しておけば参考になると気が付きました。そして、無地の大学ノートを買い、横四段に仕切って、毎晩その日の献立と日付を書いていきました。例えば最初に書き始めた昭和41年4月22日のメニューは
・牛肉のバター焼き
・そら豆の白ソースあえ
・小松菜とかまぼこの煮びたし
・若布の味噌汁
と書かれています。そして同じように日付ごとにメニューが整然と並んでいます。この献立日記ですが、書き続けるうちに前日のメニューを眺めていると、不思議とその日の献立がきまるようになり、沢村さんが思った以上に役立ち、以来、四半世紀以上、日記を書き続けました。
この本の書き出しには「人の心の中にひそむさまざまな欲のうち、最後に残るのは食欲――とよく言われる。確かにそうかも知れない・・・震災、戦火で辛い思いが続いたとき、そう思った。旅先で空襲にあい、やっと乗り込んだ汽車の中で見知らない人からいただいた1個のおにぎりのうまさ――終戦直後、大島紬の着物と取りかえてもらった1升の小麦のありがたさは忘れられない。ただ、食べたかった・・・ほかの欲はなかった」。関東大震災や第2次世界大戦という生死が定まらない状況の中を生き抜いたからこその、つよい「食」に対する思いから始まっています。
このような「食」への思いは、エッセイストとしても著名な沢村さんの日常の情景の中で度々出てきます。「あと何回食事ができるか?」では、「わたしね、生活のもとは何といっても食べ物だと思います。だから台所大好き。1日のうち起きている時間の3分の2は台所にいます。」とご自身の生活が書かれています。そうした沢村さんが綴った毎日のメニューを眺めていると、そこには季節に寄り添いながら記された料理の記録が、とても大切なものとして私たちの心に響いてきます。
また沢村さんの「私にとっての生き甲斐とは」という文章の中では、「ひとつの生き甲斐というのは、小さな点と小さな点をせっせこ、せっせこ集めること。その日集めたのがその日の幸せ。そしてその月集めたのがその月の幸せ。1年集めたら1年の幸せ。こうして、ハイ、こんなにたまりました。ああ、良かったね。じゃあ、これをまた下に降ろして来年も集めましょう。こうゆうふうにするのが生き甲斐ってものではないかしら?それなのに生き甲斐はないか?生き甲斐はないか?とあちこちうろうろ探していてみても、探しているうちにお終いになってしまいますよね。そんなのはつまらないじゃありませんか。だから、私の生き甲斐は毎日何か、ああ良かった、ああ嬉しかった、ああ美味しかったと思うような事を、自分にするか、人にするか、自分のまわりの人にするか、それでいいのです。」と綴られています。けっして背伸びをする事はなく、日常の中にある暮らしの中にある豊かさを重ね続けた沢村さんの言葉は、私たちの暮らしに明かりを灯します。